生活を潤うものにするためのアートっていう考え方
そもそも、ハワイに流れ着いた時に、な~んにも考えず、子供たちとどうやって楽しく暮らすか、家族で何をするか、どうやって子供たちに日本の文化も教えていくのか、なんて感じだった。
だから、子育てのためのポリシーなんて実は何にもなかったの。
娘は、ハワイだからフラを習ってた時期もあるけど、自分の好きなものを求めた結果、選ばなかっただけ。興味のあったダンスのクラスを選んだのも、彼女の興味があったから。所詮、親は、こうやって、子供をレールに走らせてみて、その後、子供は自分のレールや行先を決めるんだよね。
それは、きっと何かのためではなく、自分のために、好きなことをやっていた、ただそれだけ。
それが、彼女の核となり、高校3年生の冬、「お母さん、私やっぱりダンスで大学に行きたい」といわれたあたりから、彼女の中では、本格的に将来を見つめ始めたのだろうね。
親としては、それを見守る、ちょっとアドバイスしてあげるしかできなかった。
まずは、学校の成績をキープアップすること。お世話になった人に感謝を忘れないこと。最後までやり通すこと。
私もダーリンも、アメリカの大学を出ていない。
だから、アメリカの受験の仕組みも何にもわからない。(実に日本と違う)
悪いけど、お母さんたち何もわからないから、よく調べて、大学受験に臨んでね。
そうやって、彼女にすべてを任せたのが2013年の冬。
結果、2校に受かり、行くことを決めていたのに、そこには行かず、アルバイトを始め、バレエや、コンテンポラリーのクラスをとり、次の年のアプリケーションを出すことになった。
全部彼女のしたいことだ。
そして、大きな成功を手に入れた。
その時に役に立ったことは、もちろんダンスであることは紛れもない事実だが、Hawaii Youth Symphonyで、パーカッショニストとして続けた6年間も評価され(大学のテストで音感リズムテストでトップの成績のため大学でもトップのクラスにいきなり配属)多くのスカラーシップを出してもらえることとなった。
これは偶然、または、ラッキーだったのかもしれない。でも、生活を潤うために始めたアート・芸術活動が、彼女をそこまで真剣にさせたのは事実である。
…今だから言えることだけどね。笑
よく考えてみると、生活そのものがアートである、と思うようになってきた。
だから、そういう感覚を忘れないで、自分たちも含めて、研ぎ澄まされた感覚を身に着けていたいと思うの。
怪獣君には、それがあるのだが・・まだ行動を起こしていない、眠れる怪獣…である。

She was ready ....at back stage of 2014 Spot Light National